大阪地方裁判所 昭和39年(ワ)2279号 判決 1966年5月30日
原告 言美伊三郎
右訴訟代理人弁護士 渡辺粛郎
被告 北野ヨシ子
<ほか三名>
右被告ら訴訟代理人弁護士 金子新一
右同 金子光一
主文
別紙目録記載第一の土地の賃料が昭和三九年五月二〇日以降一ヶ月金八二、二九六円、同目録記載第二の土地の賃料が前同日以降一ヶ月金二六、六六〇円であることを確認する。
被告北野ヨシ子は原告に対し金二五一、八八八円を、被告北野照雄、同北野幸男、同北野富代は原告に対し各金一六七、九二五円を支払い、かつ、被告らは各自原告に対し金一、三三五、五九〇円を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の、その余を被告らの各負担とする。
この判決は第二項に限り仮に執行することができる。
事実
第一、当事者間の申立
一、原告の申立
「別紙目録記載第一の土地の賃料が昭和三九年五月二〇日以降一ヶ月金一八二、九〇七円、同目録記載第二の土地の賃料が前同日以降一ヶ月金四五、〇一二円であることを確認する。
被告北野ヨシ子は原告に対し金五二六、九〇八円を、被告北野照雄、同北野幸男、同北野富代は原告に対し各金三五一、二七二円を支払い、かつ、被告らは各自原告に対し昭和三九年一二月一八日以降一ヶ月金二二七、九一九円の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告らの負担とする。」
との判決並びに右申立第二項につき仮執行の宣言を求める。
二、被告らの申立
「原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
との判決を求める。
第二、当事者の主張とその認否
一、原告の請求原因
(一) 原告は昭和二二年頃別紙目録記載第一、第二の各土地(以下それぞれ本件第一の土地第二の土地という。)を被告らの被相続人北野正雄に対し、期限の定めなく建物所有の目的で賃貸し、同人は本件第一の土地上に木造家屋を、また、本件第二の土地上にはその後鉄筋四階建のビルディング(但し株式会社北野工業所所有名義)を建築所有していたところ、同人は昭和三九年一二月一八日死亡し、同人の妻の被告北野ヨシ子(相続持分三分の一)及び子であるその余の被告ら(相続持分各九分の二)が右賃貸借関係を相続により承継するに至った。
(二) 原告が北野正雄に本件各土地を賃貸後同人側において本件第二の土地上に右堅固な建物を建築したことを機として昭和三七年一二月一七日同人と原告間に大阪簡易裁判所昭和三六年(ユ)第四六〇号地代値上請求調停事件(申立人原告、相手方北野正雄)につき、北野は原告に対し昭和三七年七月一日以降の本件第一の土地の賃料が一ヶ月金六四、八〇〇円に、また、本件第二の土地の賃料が一ヶ月金二一、〇〇〇円にそれぞれ増額されたことを承認する。但し同三九年二月一日以降の賃料は相当額に改定する旨の調停が成立した。
(三) ところが、原告が北野に対し賃料増額請求の調停申立をなした昭和三六年頃に比し諸物価の値上りは激しく、本件各土地の価格も昂騰し(右土地の昭和三七年七月一日当時の更地価格は一坪金三七九、六〇〇円であったのが(建付地価格は一坪金三四一、六四〇円)、同三九年五月一日当時は少くとも一坪金四八三、六〇〇円(建付地価格は一坪金四三五、二四〇円)以上はするに至った。)従前の右賃料は不相当になった。而して昭和三九年五月当時の本件第一の土地の賃料は一ヶ月金一八二、九〇七円、第二の土地の賃料は一ヶ月金四五、〇一二円が妥当な賃料額である。
(四) そこで原告は昭和三九年五月一九日北野正雄に到達した書面により本件各土地の賃料を前項記載のとおりそれぞれ増額する旨の意思表示をなした。従って同年同月二〇日以降の本件第一の土地の賃料は一ヶ月金一八二、九〇七円に本件第二の土地の賃料は一ヶ月金四五、〇一二円にそれぞれ増額されるに至った。
(五) ところが、右北野は増額された右賃料の額を争いその相続人の被告らもこれを争うので、原告は被告らに対し昭和三九年五月二〇日以降の本件各土地の賃料が前項記載のとおり増額されていることの確認を求めるとともに、前同日以降北野正雄死亡の日の前日迄の同人の右割合の延滞賃料債務を右各相続持分の割合に応じて分割承継した相続人の被告らに対しその各承継債務の即ち被告北野ヨシ子については金五二六、九〇八円その余の被告らに対しては各金三五一、二七二円の支払を求め、かつ、被告ら全員に対し各自相続開始の日の同年一二月一八日以降前記割合による本件各土地の賃料(一ヶ月計金二二七、九一九円)の支払を求める。
二、請求原因に対する被告らの認否と主張
(一) 原告の請求原因(一)の事実同(二)の事実中賃料改定に関する条項の点を除くその余の事実同(四)の事実中原告主張の日に被告らの被相続人北野正雄に対し原告主張の内容の書面が到達した事実は認めるが、同(二)の事実中賃料改定に関する条項の趣旨、同(三)の事実、同(四)のその余の事実、同(五)の主張はいずれも争う。
(二) 本件各土地の賃料は原告主張の調停により昭和三七年七月一日以降従前の賃料を改定してそれぞれ原告主張のとおり増額され、而して、従前は敷金も差入れられていなかったが、右調停の際賃借人北野正雄から賃貸人の原告に対し敷金三一六、五〇〇円を差入れることになり北野は原告にこれを交付した。ところで、右賃料改定時とその後原告が北野に対し賃料の増額請求をなした昭和三九年五月一九日との間には、本件土地の課税評準額は坪当り僅か金三、九〇〇円の増額があったのみであり、従って税額は坪当り六二円増加しているに過ぎないし、もともと北野正雄は本件各土地を賃借して以来周辺の商店化等との開発に力を尽してきたが原告は特にその開発に努力した事実もなく、右範囲の公課等の増額をもってしては借地法に規定する賃料の増額事由には該当しない。
(三) 原告は昭和三九年五月一九日北野正雄に賃料の増額請求をして以来右請求金額と異なる同年同月分以降の賃料の受領を遅滞しており、これに対し右北野及び同人死亡後は被告らにおいて同年同月分以降昭和四〇年八月分迄の賃料(従前の額による)を原告に対し弁済供託を了している。
第三、証拠関係≪省略≫
理由
一、原告の請求原因(一)の事実同(二)の事実中賃料改定に関する条項の点を除くその余の事実、同(四)の事実中原告主張の日に被告らの被相続人北野正雄に対し原告主張の内容の書面(賃料の増額請求)が到達した事実は当事者間に争いがない事実である。
二、そこで以下原告主張の本件第一、第二の各土地についての賃料の増額請求の意思表示の効力について判断する。
さて、借地法第一二条による賃料増額請求権の行使が認められるためには、これが事情変更の原則そしてこの原則を支配する公平の観念ないし信義則に基づくものであることを考慮すれば(イ)既定賃料の決定時期以後右増額請求権行使の時期迄に相当期間が経過し、(ロ)前者の時期後、後者の時期迄の間に賃貸土地の価格の昂騰右土地に対する租税等の増徴または比隣の土地の地代賃料の増額といった経済事情の変動(右地価の昂騰等は経済事情の変動の事由の例示に過ぎない。)があり、(ハ)その結果右経済事情の変動のあった増額請求権行使の時点においては既定賃料が取引観念上相当ではなくなったことが必要である。従って右(イ)の要件があり。既定賃料決定時以後地価の昂騰がありその結果既定賃料が相当でなくなったと認められれば、たとえ右土地に対する租税等の額において前後さしたる変化はなく、また既定賃料が賃料増額請求権行使時における比隣の土地の賃料等に比して低額であるといえなくとも右増額請求の事由ありというべきである。
(一) 以上の見解に従って、まず本件において賃料増額事由が存するか否かについて判断する。
(1) 相当期間の経過
前示当事者間に争いのない事実によれば既定賃料(本件第一の土地につき一ヶ月金六四八、〇〇円第二の土地につき一ヶ月金二一、〇〇〇円)の決定時期は昭和三七年七月一日であり、原告の被告らの被相続人北野正雄に対する本件賃料増額請求の意思表示が同人に到達したのは同三九年五月一九日であって、この間一年一〇月余の期間が経過している。而して右経過期間が相当か否かは単にその長短によるばかりでなく、既定賃料決定の経緯や借地の利用型態(営業用借地か住宅用借地か)も考慮して判断しなければならない。けたし右利用型態が営業用借地の場合であれば経済事情の変動にも比較的短期間で適応する可能性が強いのに反し、住宅用借地の場合にはそれが乏しいのが普通であり前者においては比較的短期間の経過をもって右相当期間の経過と判断するのが公平の観念に合致する場合があるからである。しかるところ右争いのない事実と≪証拠省略≫によれば原告はその所有する本件第一、第二の土地を昭和二二年頃から被告らの被相続人北野正雄に非堅固の建物を所有する目的で賃貸してきたところ、その後同人が本件第二の土地上に堅固な建物の建築を希望して原告と交渉した結果、昭和三四年七月一日両者間に原告は右建築を承認し、本件第二の土地の賃料は同三五年六月末迄一坪一ヶ月金三五〇円とし、右期間経過後は時価相当額の賃料を支払う、本件第一の土地の賃料については同三四年六月二九日迄一坪一ヶ月一〇〇円であることを確認し、同年七月一日以降の賃料は双方協議し定めるなどの合意が成立し、北野は本件第二の土地上に同人が経営していた株式会社北野工業所の所有名義の鉄筋コンクリート陸屋根四階建事務所を建築するに至った。而してその後原告の本件各土地の賃料増額請求につき右両者間に協議が整わず、原告は北野を相手方として昭和三六年大阪簡易裁判所に地代値上請求の調停の申立をなし(同裁判所昭和三六年(ユ)第四六〇号事件)、昭和三七年一二月一七日両者間に相手方の北野は昭和三七年七月一日以降本件第一、第二の各土地の賃料が前者は一ヶ月金六四、八〇〇円後者は同じく金二一、〇〇〇円にそれぞれ増額されたことを承認する(本件既定賃料)、但し、同三九年二月一日以降の賃料については当事者双方においてあらためて協定すること北野は申立人の原告に対し本件各土地の賃貸借の敷金として金三一六、五〇〇円を差入れることを認める、等の条項による調停が成立し、北野は原告に右敷金を差入れた。そしてその後原告から北野に対し本件賃料増額請求の意思表示がなされるに至った。また、本件各土地は大阪市内の繁華街である難波戎橋及び千日前に近く交通の便もよい商業地域に位置し、本件第二の土地上には前記株式会社北野工業所の事務所等として使用されている鉄筋コンクリート四階建のビルディングが、また、本件第一の土地上にはいずれも北野正雄の所有名義(従って現在は被告らの共有)で右会社の工場として使用されている木造セメント瓦葺平家建二棟(延坪数は四〇坪五六と一二坪八六)同所有にかかりその家族の居宅として使用されている木造瓦葺二階建の建物(延坪数四〇坪〇四)一棟並びに右会社所有名義で同会社の事務所、寮に使用されている木造陸屋根二階建の建物一棟(延坪数八四坪三七)が存在している。
との事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。右事実によれば本件賃借人の北野は既定賃料が決定された右調停において、昭和三九年二月一日以降は右賃料決定時に比して経済事情の変動がある場合には再び賃料が増額されることがあることを承知していたもので、また、本件第二の土地の利用型態は全く営業用借地であり、本件第一の土地も一部には住宅用のものもあるが全体からみれば、むしろ営業用借地といって差支えない。以上の諸点を考慮すると、本件における一年一〇月余の期間の経過も前示説示にいう相当期間の経過と認められる。
(2) 経済事情の変動
(イ) 賃貸土地の地価の昂騰
鑑定人石橋一男の鑑定結果と弁論の全趣旨によれば昭和三九年五月当時の本件各土地の価格(更地価格及び建付地価格とも)は同三七年七月当時に比して一、二七倍昂騰している事実が認められ他に右認定を覆すに足る適切な証拠はない。
(ロ) 賃貸土地に対する租税の増徴
右鑑定結果と≪証拠省略≫によれば本件両土地に対する公課である固定資産税と都市計画税は昭和三七年度において一坪当り計金三一四円同三九年度は同じく金三七六円であるとの事実が認められる。従って右公課は右期間に一・一九倍増額になったことは計数上明らかである。
(ハ) 比隣の土地の賃料
本件各土地の右既定賃料が本件賃料増額請求権行使時における近隣の土地の賃料に比し低額であるとの事実を認めるに足る証拠はない。
(3) 既定賃料の不相当化
以上の諸点と本件各土地の賃借人の利用型態が営業用借地であって、その賃料が経済事情の変動に比較的容易に対応し得る性格のものであり、またこれに対応させるのがむしろ公平とさえ考えられることを綜合して判断すると、本件各土地の既定賃料は右賃料増額請求の意思表示がなされた時期において不相当になったと認め得る。
(二) よって、進んで賃料増額の範囲について判断する。
借地法第一二条による賃料増額請求権の行使が認められる要件が前示説示のとおりのものであることまた前示認定のとおり本件賃貸借はかなり長期間継続してきたものであるところ前記既定賃料はその決定時においてそれ以前の賃料を賃貸条件の変更に伴って再度修正して定めたものであって、右既定賃料決定時以後本件増額請求権行使時迄に賃貸人賃借人間の関係に特段の変化もなく、またその余の賃貸条件の変更があったとも認められないことを考慮すると本件のような事実においては賃料増額の範囲は既定賃料の額に、右賃料決定時後右賃料増額請求権行使時迄の賃貸土地の価格の昂騰率(厳密にいえば、近時における地価の昂騰が投機的な要素を含む場合の多いことは顕著な事実であるところ、賃料が土地使用の対価である点を考慮すれば、たとえ営業用借地であっても賃料算定に関する資料としては右投機的要素を含む土地の価格そのものを利用することは妥当でなく、賃貸土地の更地価格から右投機的要素を控除した価格をもって右地価の昂騰の有無の判断の資料に供すべきである。而して本件各土地については前掲の鑑人の鑑定の結果によればいずれの価格をとるにせよ昂騰率は同一であると推認される。)を乗じて算出するを相当と解する(なお、前示認定のとおり本件既定賃料を定めた原告と北野間の調停により同人は本件各土地の賃貸借の敷金として金三一六、五〇〇円を差入れているが、右金額は賃貸土地の広さ等に比し高額な金額ともいえず、その運用によって得られる利息相当額が賃料の一部に充当される限度のものとも認められないので本件の増額率については考慮しない。)。
前示のとおり本件第一の既定賃料は一ヶ月金六四、八〇〇円第二の土地のそれは一ヶ月金二一、〇〇〇円そして本件各土地の右地価昂騰率はともに一・二七倍であるから、これにより右算出基準に従って、原告の右北野に対する本件賃料増額請求の意思表示が同人に到達した昭和三九年五月一九日当時の本件各土地賃料を計算すると、それが第一の土地につき一ヶ月金八二、二九六円第二の土地につき一ヶ月金二六、六六〇円となることは計数上明らかである。
(三) してみれば原告が被告らの被相続人北野正雄に対してなした本件賃料増額請求の意思表示はこれが同人に到達した昭和三九年五月一九日以降本件第一の土地の賃料につき一ヶ月金八二、二九六円、第二の土地の賃料につき一ヶ月金二六、六六〇円の限度においてその賃料増額の効果を生じ、右限度を超える部分についてはその効力を生じないものといわなければならない。
三、以上によれば右北野正雄は右増額の効果を生じた翌日の昭和三九年五月二〇以降同人死亡の前日の同年一二月一七日迄の本件各土地についての右増額賃料(一ヶ月合計金一〇八、九五六円)による賃料を賃貸人の原告に支払う義務を負担していたことになり、被告らは右相続により前示各相続持分の割合により右賃料債務を分割して承継し、従って被告北野ヨシ子(相続持分三分の一)は金二五一、八八八円その余の被告ら(相続持分各九分の二)は各金一六七、九二五円の各相続賃料債務を原告に支払う義務を負担するとともに、本件賃貸借の承継により相続開始の日である同年一二月一九日以降各自原告に対し本件各土地の右増額賃料一ヶ月計金一〇八、九五六円を支払う義務(不可分債務)を負うに至ったというべきである。
四、そこで被告らの弁済供託の主張について判断するに、右主張は原告が弁論の全趣旨において争うところ、被告らの主張によれば右供託は従前の既定賃料額によるものであるが、この点は暫らくおくとしても、右供託者である北野正雄もしくはその相続人の被告らにおいて右供託に先立ち右賃料額を原告に対し現実にまたは口頭により提供し、原告がその受領を拒絶したとの事実を認めるに足る証拠はない(全証拠によるも、原告においてその請求賃料額でなければ受領に応じないとの事実は認められないから、訴訟中であっても賃借人としては少くとも口頭の提供をなすことが必要である。)従って被告らの右弁済供託はその前提要件を欠き爾余の点につき判断する迄もなく弁済の効果を生ぜしめないことは明らかであるから右主張は採用し得ない。
五、そうだとすれば原告の被告らに対する本訴請求は、前示増額の効果を争う被告らに対してその増額賃料の確認を求める請求中前記賃料増額請求の意思表示が被告らの被相続人北野正雄に到達した翌日の昭和三九年五月二〇日以降本件第一の土地の賃料が一ヶ月金八二、二九六円、第二の土地の賃料が一ヶ月金二六、六六〇円であることの確認を求める限度においてまた、右増額賃料の支払を求める請求中被告らに対しそれぞれ前示認定の北野正雄の延滞賃料債務の各相続分の支払の支払及び本件各土地の共同賃借人の被告らに対し各自右相続開始の日の同年一二月一八日以降本件口頭弁論終結の日の同四〇年一二月二五日迄の右増額賃料による延滞賃料計金一、三三五、五九〇円の支払を求める限度においては理由があるのでこれを正当として認容し、右認定金額を起える部分の確認と給付の請求は理由がなく、また、右弁論終結の日の翌日以降の賃料の支払を求める部分は将来の給付を求めるものであるところ、右増額賃料の確認をしており、特に予め右将来の給付を求める必要は認められないからその理由がないので、これを失当として棄却し、民訴法第九二条本文、第九三条第一項本文、第一九六条第一項を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 村瀬鎮雄)